2013年6月

夕方、大好きな喫茶店に足を運ぶ。

いつもと変わらない時間を過ごした。

新聞を手にしたときに、

誰も手にされてないような様子に少し残念な気分になった。

 

私の大切な知人が、個性のある仕事をされておられるのだが、

「自分が生きている間は需要があるのかなと思って」と、

本当に良い仕事をされている。

私も同じような思いで毎日を過ごしているが、

好きな店、好きな環境が、いつまで存在するのだろうかと、

最近は不安になることが多い。

 

多くの人にとっては、質ということへの評価が、全く必要とされない時代に、

自分の好む生活環境を維持していくことを考える時間が増えてきている。

 

最近耳にした名言「アホでも美味しいぐらいわかる思てたわん。」

美味しいものがつくれた。

美味しいものがつくれてそれで完成なのだろうか。

美味しいものを人に召し上がって頂いて完成なのだろうか。

美味しいものを感じることが出来る人に多くの人でなくても召し上がって頂いて完成なのだろうか。

美味しいかどうかわからない人でも多くの人に召し上がって頂ければ完成なのだろうか。

美味しいもを作れる自分が完成なのだろうか。

美味しく仕上がった食べ物が完成なのだろうか。

 

美味しいものがつくれた。

自分にとっては大切なこと。

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