dialy: 2010年5月

久しぶりのまる一日の休日。

生憎の天気なので車で街へ。

スマートでランチ、ソアレでゼリーを。

フルコースだ。

夕ご飯には、大宮・京一であんかけ中華を。

京都人の京都人による京都コース。

 

京都人ですが何か?!

「焼肉店で無銭飲食」という記事を読む。

閉店間際まで居座って、所持金44円だったそうだ。

営業時間のほぼ全ての12時間居座っていたようだ。

無銭飲食はルールを破る。

居座ることはマナーを破る。

 

ルールは的確、マナーは曖昧。

どちらも個々のルールでありマナーである。

個々の価値観、ここが何よりも曖昧である。

チロルへ行く。

美味しい珈琲と店主のお気遣いが有難い。

 

サンドウィッチ屋でサンドウィッチを買う。

古くから営んでおられる店の、真っ直ぐな思いが素晴らしい。

 

どちらの店も、お客様と接される瞬間の表情が良い。すごく良い。

ものをつくられて、ものを買って、お金を払う、

その流れの中に生まれる表情、それを買っているのだと思う。

買って頂いているのだと思う。

 

今日も勉強になった。

今日も歩く。

 

知人に勧められた洋食屋へ。

御主人が留守らしく、注文した商品を奥様が作られる。

日頃、調理をされているわけではないらしいが。。。

良いのか、大丈夫なのか。

結論から言うと大丈夫ではなかった。(苦笑)

 

その後、学生時代によく足を運んでいたパン屋・ミルキーへ行く。

ここも十数年ぶりだろうか。懐かしくたくさん買ってしまった。

オマケまでして頂いて有難い。

先程の失敗が洗い流された思いだ。

 

たくさん勉強になりました。

 

 

「変えることは一秒で出来るけれど、つなげてくことは難しい」

と私の好きな店のオーナーさんが仰っていた。

80周年の店主さんだからこそ説得力がある。

 

継続は困難だ。

伊藤珈琲店に足を運ぶ。

昨年、トモフさんと待ち合わせた場所だ。

あの日のことを思い出す。

 

節目節目には、その節目を迎える節目を迎えるべくスタートの瞬間を思い出す。

今まで思い出すことのなかった幼少時期のことも思い出すこともある。

何で何だろう。

 

人生の末日が近いのか??

美味しいものが、美味しくて。

良い音楽が、良い音楽で。

大切な人が、大切な人で。

生きていることは、そんなことなんだろう。

今日は、喫茶萩へ。

15年ぶりにいった空間は決して変わってなくて、

心洗われる思いである。

 

お世話になっている水澤さんに葉とうがらしを頂く。

栄養価たっぷりの食材に嬉しくなり、

試作を続け、いよいよランチで提供する。

苦みが旨味で。ダイエットにも良いそうで。

是非是非、食して頂けますと嬉しいです。

 

葉とうがらしは、京都では古くから佃煮なんかにして食されてますね。

生産地の食材を、セレブに食することなく自然に食する。

理由なき最良の生活。理想の生活。

 

毎日が特別に。

日本人はブランド志向で。

敢えて言葉に発して、主張する生きものです。ね。

多くの虫が集ったものに、さらに多くの虫を集らせようと、

主張して主張して、強調して誇張して。

イケてるって何なんだろう。

イケてるってイケているのか。

 

今日も地元の野菜を頂きに行く。

初夏を迎えようと、玉ねぎ、胡瓜が美味すぎる。

 

同じ場所で、ずっと一つの目的の為に生活をする。

あまりにも理想的で素晴らしい。

モラルのない世の中で、あまりにも過ごしにくい。

世の中を変えようと、私のお付き合いさせて頂いている人で、

政治像を描いてみた。

総理大臣にはあの人で、財務大臣はこの人で、

環境大臣にはあの人にやってもらおう。

 

出来る限り小さな世界で生きたいものだ。

狂言を観に行く。

幼いころから壬生で育ったので、

身近なところに狂言は存在していただが、

しっかりと観るのは初めてで。

とても楽しませて頂きました。

 

京都に住み続ける京都人。

何かわかるような気がする。